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今回は宗教ネタを。

出典は
親鸞とは何か (講談社MOOK)親鸞とは何か (講談社MOOK)
(2011/04/15)
講談社

商品詳細を見る


本書は取材協力、西本願寺仏教総合研究所

つまりは浄土真宗本願寺派。

宗教本を読むとき
とても大切になってくるのは、
やっぱり「誰が書いているか」ですよね。



ではでは本題に。

浄土真宗の宗祖、親鸞聖人。

その出家のきっかけは幼いころに両親を亡くしたからだと言われています。

……というか言われていました。


具体的には
4歳のころに父である日野有範(ありのり)と。

8歳のころに母である吉光女(きっこうにょ)と離別。

早すぎる両親との死別に無常を感じ、九歳の時に出家を決意。

――。


という感じです。

僕も、そうだと思ってきました。

でも最近の研究の結果、
 「どうもそうではないらしい」
ということがわかってきたんです。


そもそも、なぜ出家のきっかけという
大事なことがぐらぐらしているのか。

それは親鸞聖人がご自身のことについてほとんど書き残されていないから。

たくさんの著作を残されているにもかかわらず、です。


あまりにも生身の人間が見えてこないから
「親鸞は架空の存在だ」と言うひとまで現れるほど。
(現在でははっきりしていますよ)


なので上記の
親鸞聖人の出家のきっかけについての話も
ご自身で書き残されたものではなく。

親鸞聖人の曾孫、本願寺第三世の
覚如上人が書き残されたもの。

『親鸞聖人伝絵』に記されています。

豆知識としては二十五歳のときに書かれたもの。
しかも本願寺の法主という立場を意識して。



――そして最近の研究でわかったこと。

それは、親鸞聖人の父、日野有範は死んでおらず。

若くして出家し、山城三室戸寺に隠棲していた。

――ということ。


うん、出家のきっかけと思っていたことが
がらがらと壊れていく。

さらに付加知識としては
親鸞聖人のご兄弟も、全員出家しています。

……。



以上が
『親鸞と何か』を読んで驚いたこと。

歴史の研究は進んでいくんだなぁ。


仏道に入ったきっかけって
結構大事だと思うんだけど……。

いずれさらにわかってくるのかも。



でもこれ、浄土真宗内ではどのように受け止められるんだろう?

なんてことを思いました。


史実では、父は健在。

親鸞聖人の出家の原因も
はっきりとはしませんが(資料がないので)
家の事情とか、そうしないと殺されたかもしれなかったとか
いろいろな説があります。確定することはないでしょうけど。



そうした史実が明らかになってきたことを踏まえて

史実を採用するのか。

それとも『親鸞聖人伝絵』を採用するのか。

宗派によってわかれてくるかもしれませんね。



そしてどこの宗派にも属していない僕の意見。

ぶっちゃけどっちでもいいと思います。


史実なんて知らんぷりを決め込んでもいい。

史実を踏まえて変えるのもいい。

二つを伝えるのもいい。



最近意見が変わりつつあるのですが

宗教にとって
歴史や科学に沿っているかどうかは重要じゃないなと。


いや、法律や社会に沿っているかは重要ですよ?

でないと宗教団体ではなくただの犯罪集団に成り下がってしまいますから。


でもそれ以外は重要でない。


たとえばの話。

キリスト教では人類の誕生を
進化論ではなく創造論で説明します。

僕は問題ないと思います。

だって宗教の世界だから。

もちろん、生命科学などの道に進もうとするひとにとっては
大問題になるかもしれませんが、一般人にとってはどうでもいいはずです。

いままで生きてきて
「あー、進化論知っててよかったー」と思ったことありませんし。


まあ、宗教の話を科学のタームで説明しようとするのは
正直どうかと思いますし、進歩もない気がしますが……。

問題なしです。


むしろ
「科学的には間違っている創造論を信じているひとって……」
みたいな態度のほうが問題あり。

以前テレビでキリスト教関係の団体が創設した「創造博物館」を
紹介していました。

その時いた出演者が創造論をずいぶん馬鹿にしていた(ように見えた)のには
心底がっかりさせられました。

テレビという公の場で、よくそんな態度がとれるなぁ、と。


まあ、創造論を信じているひとが「進化論は間違っている」とかなんとか
言い出したら、それは情けないことですけどね。

あ、でももしかして、「創造論を信じないひとは神を侮辱している」みたいな
考えがあったらどうしよう……。




最後の部分は蛇足な気がぷんぷんしますが。

研究が進むと変わる。

科学でも技術でも、そして歴史でも。

追いかけるのが難しいですねー。
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ここ数年、宗教について学んでいるのですが。

数百年を経て現代まで受け継がれてきた宗教を理解しようとしたとき
まず大事になってくるのは、その宗教や宗派が成立した背景だなぁ、と
思えるようになりました。


成立した時代がどういう状況だったのか。

宗教を打ち立てた人物は、どういう出自なのか。

なぜそのような考えを持つように至ったのか。

既存の宗教ではいけなかったのか。

なぜ新しい教えを打ち出したのか。


などなどをしっかりと理解しようと努めることが
まず必要だな、と。


最初から教えの内容を理解しようとすると
なんだろう、根っこの部分をつくりわすれたようになってしまった感覚です。


これは、何も伝統宗教に限ったことではなく
新宗教にも当てはまることだと思います。

まあ、新宗教の教祖については
伝記などもないでしょうし、あったとしても
その教団が自分たちで発行しているものしかなかったりしますが。。。

そういったものは美辞麗句で賛辞されているだけなわけですが。。。

それでも、なんとか出自を理解しようとしてみることは大事かと。

 そんなものに興味を持たない、ということは置いておいて。


というか新宗教の教祖なら、

どういう経歴か-、であったり
両親は何をしていたひとかー、であったり
子供時代は何が好きだったかー

という、仲良くなったひとともっと仲良くなりたいと思ったときに
「聞きたい!」と思えることをその教祖にも当てはめてみるだけでいいかと。

すごくシンプルに考えて。


いまの時代、便利な世の中になったわけで。

一角の人物なら、ある程度の経歴は
すぐに調べられるわけです。

もし情報があまりにも少なかったとすれば
それはただの小物か情報をコントロールしようとしているひと……と。


大変なのは、伝統的な宗教の教祖。

それはなぜかというと、情報があまりにも少ない

……のでは当然なく。

あまりにも多すぎるから。

そして当時流れていたであろう空気感を肌で感じることができないから。


情報を仕入れて、自分なりに咀嚼して
もっともらしいのはどれなのかを吟味して。。。

それに先ほど挙げたような
「子供時代何が好きだったか」
なんて情報、残っているわけないですしね。

……そもそも好きなものを持てるほどの余裕がある時代だったのかも謎です。


一般大衆に「美味しい」という概念が生まれたのって
江戸時代以降らしいですもんね。たしか。

でまあ、こういうことを考え始めたら
当時の階級であったり社会情勢であったりを知ることが必要なわけで。

士農工商という身分制度にしても
江戸時代あたりにできたみたいだし。

そもそも武士が台頭するのは鎌倉時代からで
それ以前は武士にあたるひとってどういう位置づけだったの。

豪族?


……閑話休題。


強引にまとめると

”宗教と向き合うとき、いきなり教えから入らないほうがいいかも”

ということ。


いやほんと、どれもすばらしい教えなんだろうし、崇高な目的があるんだろうけど……。

正直宗教に疎い僕にはとっつきづらい。

整理ができない。


でも、出自方面から攻める(?)といい感じかも。

そんな気付きの共有でした。



……ちなみに。

カルト団体の見極め方って実はめちゃくちゃ難しくて
スパッと言い切れるひとはいないのですが。
(反社会的行為をする団体は論外ですよ)

教祖なり主催者の経歴が隠されていたりすると
かなりグレーゾーンだと聞いたことがあります。



背景を知るっていうのは大事なんですね。

めんどくさいし、手間がかかることなんですけど……。

その手間を厭ったあまりに
より大きなやっかいごとに巻き込まれるかも知れない。


実体験からくる反省でもあったりします。
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【宗教本】ヨーガの奥義 綿本 彰 講談社
ヨーガの奥義 (講談社の実用BOOK)ヨーガの奥義 (講談社の実用BOOK)
(2004/08/26)
綿本 彰

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はたしてヨーガは宗教なのか。


……ひとそれぞれ解釈があると思います。

「ハリウッドのセレブがやっているからー」
「ダイエットにいいっていうからー」
という理由で始めたひとにとってはエクササイズだと思いますが。


やっぱり出発点から考えると
仏教の一部だな、と。

思想を知ると
ますます仏教だな、と。


まずはっきりしたこと。

ヨーガの神髄は、瞑想だそうです。

いろいろな動きがあるのも、すべては瞑想するため。


その瞑想、インドの言葉で「ディアナ」といいます。

仏教はインド、中国、日本というルートで
日本に伝わってきましたが

仏教が中国に持ち込まれたとき、
当時の中国のひとは
「ディアナ」に「禅那」と当て字をしました。

その言葉が日本に入ってくるころには、「禅」となっていました。


……つまり!

入ってきた経路が違うだけでもとは同じものなんです。


ではなぜ、禅とヨーガは
全く違うもののようになっているのか。

このあたり興味がある方は、達磨大師や日本における禅宗発展の歴史と
いまの日本で見られるハタ・ヨーガやクンダリーニ・ヨーガが成立した経緯を知れば納得できるかと。


ちなみにスティーブ・ジョブズは
ヨーガではなく、日本の禅に傾倒してたりします。

過去記事:【本伝記】スティーブ・ジョブズ 偶像復活

ジョブズが生み出すシンプルでスマートな製品は
禅の影響を受けている……のかもしれません。



そしてさらに納得したこと。

ヨーガの聖典、『ヨーガスートラ』には
超能力について触れられている箇所があるそうです。

あ、この『ヨーガスートラ』が世に出たのは、紀元前二世紀だそうです。

で、どんな超能力かというと……
・空中浮遊ができる。
・透明人間になれる
・極小サイズの人間になれる
というもの。

「んな馬鹿な……」と思ってしまいます。

ただのオカルトじゃんか、と。


それに対する著者の考えが、非常に納得できるものでした。

まず、そうした超能力に対しては

瞑想へ至るまでのトランス状態で生じる幻覚や幻想、思い込みによるもの

としています。

納得。

幻覚なら何でもありだ。


でもなんでそんな、いかにもオカルトな記述をわざわざ入れるのか?

それに対しては、

超能力が得られるということで、モチベーションを高めることもできます。



続けて

いまなら、ヨーガでウエストが五センチ細くなる、といえば(実際に細くなりますが)、じゃあ、ヨーガをやろう、と多くの女性たちが集まってくる。ヨーガが浸透していくうえでの大変な力となります。



納得納得。

マーケティング戦略だったんだ。

ヨーガを広めるための。


……いや、わかりませんよ?

もしかしたら、超能力を得たひとがいるのかも知れませんよ?

透明人間になっちゃったひとがいるのかも知れませんよ?

でも確認のしようがありませんから……。


超能力は、ヨーガを広めるための広告宣伝だったということで。


まあ、いずれにせよ本質的な部分ではないので
気にしなくてもいいところではありますが。

気になっちゃうんですよねー。

そういう些細なところが気になってしまう僕にとって
この解釈を知ることができたのは良かったです。



最後に本書全体の感想。

ヨーガがなぜ欧米や日本で広がりつつあるのか。

本書を読めば、その一端がつかめます。


エキゾチックな東洋の精神世界に触れることができ(欧米のひとにとって)、
ハリウッドのセレブやモデルが行っているダイエット法を真似でき(日本の一部のひとにとって)、
いま流行のインナーマッスルを鍛えることができる(誰でも)。


精神性とエクササイズを兼ね備えているんだもんな-。

そりゃ、ブームで終わらず定着するわ。


――難点があるとすれば
師匠を見つけるのが難しそうなところですかね。


身体の動きを伴うだけに
誰に教わるかで、ずいぶんと結果が変わってきそう。

ハリウッドセレブに教えるひとって
いくらで雇われているんだろう。



しばらくヨーガの世界にも触れていこうと思います。



P.S.
今回の記事では「ヨーガ」で貫きましたが。

「ヨガ」と書きたくて仕方がありません。

……ダルシムの影響なんだろうなぁ。
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2011年5月10日。

ジロ・デ・イタリア第3ステージで、ワウテル・ウェイラント(ベルギー、レオパードトレック)選手が
レース中に事故でなくなりました。

Wouter Weylandt From Wikipedia, the free encyclopedia
URL: http://en.wikipedia.org/wiki/Wouter_Weylandt



応援していたチームということもあり、
ものすごく大きなショックを受けました。

自分でも何故こんなに動揺しているのかわからないほど……。


ウェイラントの早過ぎる死を悼む言葉:シクロワイアード
URL: http://www.cyclowired.jp/?q=node/58015



上記のシクロワイアードの記事で最初にある写真。

彼の右手にある白いリストバンド。

あれって、日本の東北地方太平洋沖地震の復興を支援するために
別府史之選手とトレック・ジャパンによって作られたものなんですよね……。


復興支援リストバンド
URL: http://www.trekbikes.co.jp/notalone/



なかなか立ち直れないなぁ……。



話は変わって。

彼の死を受けて
FacebookやTwitterで哀悼の意を表するひとたちのメッセージを読んでいると

"RIP"という言葉が、必ずと言っていいほど添えられています。

初めて知りました。


"RIP"とは、ラテン語で"Requiescat in Pace"。

英語にすると"Rest in peace"。

参考記事:Rest in peace From Wikipedia, the free encyclopedia
URL: http://en.wikipedia.org/wiki/Rest_in_peace


カトリックでよく使われる言葉のようです。



ワウテル・ウェイラント選手のお葬式が5月18日に行われました。

EMOTIONAL GOODBYE TO WOUTER WEYLANDT
URL: http://www.leopardtrek.lu/news/emotional-goodbye-wouter-weylandt


at the Sint-Pieterskerk in Wouter’s home town of Ghent

とあるので、彼がキリスト教徒であることがわかります。
(それ以上のことはわかりませんが……)

なのでRIPはふさわしい。


ここで疑問です。

ずいぶんと悩みました。


僕が彼に哀悼の意を表する場合、なんと書けばいいのだろう?


定型区になっている感がある日本語、

「ご冥福をお祈りいたします」

という言葉は、キリスト教徒に対してはふさわしくないと個人的に思っています。


ちなみに万能選手のように思われがちな
「ご冥福をお祈りいたします」という言葉。

浄土真宗のひとが亡くなったときに使ってしまうと
侮辱のニュアンスが含まれてしまうこともあるのでお気をつけて。

まあ、表立って怒るひとはいないと思いますが。



死者を悼む気持ちに宗教は関係ないと思っています。

ただそうは言っても、

「自分の宗教と相手の宗教に齟齬が生じた場合どうするべきなのか?」

という悩みはつきないわけで。


「自分の信仰を貫く!」
という姿勢もあると思います。

「相手の宗教に合わせたからといって、自分の信仰が揺らぐわけがない!」
という姿勢もあると思います。

「自分は無宗教だから、宗教行事には参加しない」
という姿勢もあると思います。

決まり切った答えなんて、ないですよね。


だからこそ、悩みはつきないわけで……。



難しいことです。

しっかりと学んで、経験を積んで
自分なりの答えを持てるようにならないと。
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前回から引き続き、『般若心経の科学』について。
般若心経の科学―「276文字」の中に、「21世紀の科学」を見た (ノン・ブック)般若心経の科学―「276文字」の中に、「21世紀の科学」を見た (ノン・ブック)
(1997/12)
天外 伺朗

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今回は目からウロコの指摘。

題して「オカルトと科学の境目は?」です。


「科学的ではないから信じない」。

よく聞く言葉です。誰しも一度は使ったことがあるはず。


でもはたしてその"科学"って、一体何のことでしょう?

ただ漠然と"科学"という言葉を使っていますが、
実際はどのようなものを想定しているのでしょうか?


それについての天外伺朗さんの指摘が秀逸。

引用します。

私は、科学者としてのトレーニングを受け、長年技術の世界で仕事をしてきたエンジニアです。したがって、近代科学の本質に関しては、少なくとも一般の人より詳しいと思います。その私の目から見ると、一般に「近代科学」と思われているのは、ほとんど三〇〇年前の「ニュートン力学」の枠組みと言ってよいように思われます。
「ニュートン力学」で説明できることだけを科学的といい、それ以外は「オカルト」だとして切って捨てる傾向があります。



一般的なひとが使うところの"科学"とは
三〇〇年前の「ニュートン力学」だと。

三〇〇年。

もちろんその間も、科学は進歩しています。

でもその知識は、一部のひとたちをのぞいて
知られていないと。


続けて。

もし、科学に無縁に見える人が「一般相対性理論」の内容を正しく語ったとしたら、ほとんどの人は「荒唐無稽だ」と思うことでしょう。「オカルトだ!」と叫ぶ人もいるかもしれません。
ところが「一般相対性理論」などはまだいいほうで、その後に出てきた、素粒子の物理学である「量子力学」などは、もう「オカルト」そのもののような理論です。




確かに!

本書のなかでも、「量子力学」が出てきます。

でもそれは、いままで持っていた科学の知識では理解できない。

いや、丁寧に説明されたとしても……。
頑張って何を言っているかはわかったとしても
それが実際に理解できるようにはならないのかも。

ただの決まり事としてしか理解できないというか……。

実際の世界とは無関係だと思うというか……。


本書にたびたび出てくる「ホログラフィー宇宙モデル」や「集合的無意識」。

オカルトさ、全開。仮説だからそんなものですか。


最先端の科学を考えるうえで

オカルトか科学か、という境目は

たいして意味をなさないのかもしれません。


そもそもオカルトという言葉の意味は、「神秘的なこと」。

神秘的なこと、と考えると
世の中にはオカルトしかないとも言えるわけです。


……思い切り拡大解釈をしました。



でも宗教を学んでいくにつれ
世間の常識ではどう考えても説明できないことも多く説かれていることに気付きます。

そうしたときにどうするか。

「オカルトだ!」と言って、拒絶するのか?


僕はわざわざそんな事をする必要はないと思います。

「あぁ、そんなこともあるんだなー」で済ませればいい。

「自分の知らない世界では、そういうこともあるんだなー」と。


信じるか信じないかは、その次の話ですよ。

で、信じられないと思ったのなら。

わざわざ科学(それも三〇〇年前の「ニュートン力学」)を持ち出さなくても
「うさんくさい」と切って捨てればいいと思うんです。


このひとたちは、こうしたことを信じている。

なるほど。

でも自分は、信じようとは思わない。

こうした姿勢が大事ではないかと。

いきなり拒絶して全否定は、なんていうかさみしいですよね。



蛇足かもしれませんが。

科学的だから信じる。
科学的ではないから信じない。

こうした考えは
一見合理的なように見えます。

しかし"信じる""信じない"という言葉を使っている時点で
一種の宗教のようなものなんですよね……。
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プロフィール

 

ぼってぃー

Author:ぼってぃー
キノキョウ-昨日より今日、今日よりも明日少しでも前進、向上!

税理士試験、受験生です。
昨日よりきょう、少しでも成長していきたいと思っています。ここでは主に本の紹介をしています。

詳細はこちらから:プロフィール

 

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