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ブログを、というかパソコンをそもそも開かない生活が続いていたのですが
そろそろ近況報告を。


1月末に就職しました。

希望通りのこぢんまりとした会計事務所に。

さらに希望通り、コンサルティング会社も併設している事務所に。


税理士を目指して勉強中の身でありながら、
税理士の独占業務だけではやっていけないと考えている僕にとっては
願ったり叶ったり。


……なのですが。

『トライアル雇用』という制度を使って就職したので
3ヵ月は見習い期間。

簡単に雇い主は解雇できる状態でもあります。

3ヵ月後、お互いがOKを出せば、晴れて正社員。


という不安定な状態なので、
現状や将来について具体的には書けない状況です。


ただ、ある程度慣れてきたら

・会計事務所で働く新人さんで勉強会を行ってみたい

・朝に勉強会を行っているところに行ってみたい

・読書会に参加したい

・応援しているセミナー講師をもっとサポートしたい

・ブログに読書で得た内容をアウトプットしたい

・たくさんの人と深い話をしたい

・あらためて資格試験の予備校に通いたい

などなど、やりたいことがたくさん出てきているときでもあります。


で、働いていて思いました。

たった2ヵ月ですが、気付きました。


「時間が経つのが早い……!」


長期的なスパンで物事を考えていかないと
どんどん時間だけが経ってしまいそうです。自分の場合。


「目の前のことに全力を尽くしていれば、道は開ける!」

……という考えもあります。

が、この2ヵ月を振り返って考えてみると、
そのまま30歳、40歳となっていきそうな気がしてなりません。


もちろんそれはそれでひとつの人生です。

でもやっぱり自分にはやりたいことがある。

できることなら、その目標のために少しでも前進したい。


毎日を生きていくうえで
最終的に達成したいことを意識していくのって大事だと思うんです。

ともすると、日常の些細なことに流されてしまうから。


なのでこっぱずかしいですが、
これからは夢を堂々と語っていこうかと。

常々言っていると、いい加減なことはできないでしょう。


というわけで、僕の目的を。


「自殺をなくす」


 そこに至る過程として

「世の中の仕組みを解明し、苦痛を和らげる」


……途方もなく大きな目的です。

正直、何をすればいいのか全くわかりません。


でも、これからさまざまなことをしていくことになると思いますが
常にここを意識していきます。


ランニングをするときも
ロードバイクに乗るときも
読書をするときも
仕事をするときも。


正社員になったとしても、小さな会社、
いつクビになってもおかしくないところです。

でもだからこそ、いつ解雇されてもいいように自己研鑽を。

そしてその努力が、ひいては自分の目的に繋がるように。


そんなことをよく考える今日この頃です。
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「夜明け前が一番くらい」という言葉があります。

それが本当なのかはわかりませんが
この言葉の意味するところは

一番つらいとき、それは成功まであと一歩のとき

ということです。


また努力と成果の関係は

直線ではなく指数関数

とも言われます。


やればやったぶんだけ伸びるというわけではないけれども
続けていればあるとき急激に伸びる。


それを端的に表しているのが”複利”の計算。

毎日、たった0.1%(1000分の1)成長していけば
1年後には1.44倍。
5年後には6.197倍。
10年後には38.404倍。
20年後にいたっては1474.903倍という途方もないレベルに。

達することができます。



……と言うことはわかっていても。

実際自分がどこにいるのかはわからないわけで。

もしかしたら、指数関数的には成長しておらず
まったく関係ないことをしているかもしれない。

きれいに成長カーブを描けているのかは誰にもわかりません。

でもわからないからといって
何もしなければ成長しないということだけはわかっています。


「夜明け前が一番くらい」という言葉は
上昇する直前のつらい状況を指しているんだと思います。

たとえどれだけ苦しいことでも
その行いが成果・成長につながっていると実感できれば耐えることができます。

しかし指数関数の世界では。。。

どれだけ行動しても
目に見える結果を得ることができない時間が長くあります。


努力と成果の関係が直線だと考えていれば
努力に対して思うように上がらない結果を見てあきらめてしまうかもしれません。
自分の能力の低さに泣き
才能がない自分をみじめに思うかもしれません。

あきらめが肝心、ということも確かだと思います。


上がる直前なのか、それともまったく見当外れなのか。
その境界線は、おそらく誰にもわかるものではありません。


――ですが!
僕は、指数関数だと信じているので
結果が出なくても、「これだっ!」と思うものを追求していくつもりです。

たとえ、数日、数週間、数ヶ月、数年、数十年結果が出なくても。
生きているうちに望む場所に達することができなかったとしても。



……と大きなことを書きましたが
実際は怠惰な自分と日々向き合っています。

やるべきことはわかっているんだけどなぁ。


今回、わざわざこんなことを書いたのは

努力と成果の関係が指数関数だと思えるかどうかは
ひとえに”経験”にかかっているのではないか、と思ったからです。

自分自身の体験を通して
実感できるかどうか。


家庭教師をしている僕は
その点恵まれていると思います。

最近も
「こんなに急激に点数上がるの!?」
という体験をしました。


やるべきことをやっているのになかなか点数に結びつかない。

理解も暗記も問題数もこなしている。

なのになんで?

と受験が迫り来るなかハラハラしていたのですが。

受験まであと一ヵ月というこの時期に
急に”できる”ようになりました。


教えている僕でさえ驚くほどですから
本人はもっと驚いているんだろうなぁ。
「指数関数ってこのことか!」
と実感致しました。

この体験を身体に染みこませて欲しい。


思うに、
順調にステップアップできれば
誰も挫折なんてしないはずです。

でも現実はそうではなく
努力をしているはずなのに好転しないこともあります。


だからこそ
「夜明け前が一番くらい」
と言われるのでしょうね。


結果が出る出ないに関わらず
淡々と努力し続ける。

当たり前のように。

特にすごいことをしているとも
「逆境に耐えるオレ、かっこよくね?」とも思わず。

淡々と。


なんていうことを新年早々、痛感した次第でございます。

心に刻みつけて2012年を!
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ひとによっては不快に感じるかもしれませんのでお気をつけください。




「ショッキングピンクを思いついたひとは、こういう光景を見たのかな」

 というくらいに鮮やかなピンク。

その場違いな派手さは、目に焼き付きました。


毎朝ランニングをしていれば
動物の死体を見かけること、年に数回はあると思います。
……東京ではないのかな。


たいていは車にはねられているのですが……。

今朝見つけたものは、ネコの死体。

それも焼かれている状態の。

焼かれているといっても
黒こげではなく、ただれているという表現が当てはまるような。

そんな死骸。

見るからにひとの悪意で殺されたのがわかってしまう。。。


時刻は午前8時30分。

場所は公園。

その公園は大きな公園で
野球場やテニスコートがある場所です。

野球場では子どもの野球大会が行われるみたいで
和気藹々とした雰囲気。

そこから200メートルと離れていないところで
ネコが殺されている。

このギャップがきっかけで
いろいろなことを考えました。考えさせられました。


とりあえずは、子どもに見せるのはよろしくないと思えたので
公園の管理人さんに報告。

動物の死体を見るぶんには構わないと思いますが
人間の残酷さは見せたくない。

チビッコがよく遊んでる場所なんですよ。


その後もランニングをしていたのですが
いろいろな考えがぐるぐると回っていました。

自分は何に残酷性を見出したのだろう?
もしかして老衰で死んだネコを火葬しようとしただけかも?
いやいや、それなら道の真ん中に放置しない。

とか

最近近くで通り魔があったけど、物騒になってきたな。

とか

もし焼かれていることにショックを受けているというなら
焼き肉はどうなる?牛の死体を焼いているじゃないか?
何が違う? 
野良猫か食用に飼育された牛か。そこか?
それとも猫のことは愛玩動物として認識しているからか?

とか

もし食用かどうか、という基準で考えているとしたら
その考えの方が残酷じゃなかろうか?
フォアグラなんて、相当残酷だろうに
高級食材として嬉々と食べている。
それは残酷じゃないのか?

とか

手塚治虫の『鉄腕アトム』に
地球人そっくりの宇宙人がやってきて
その宇宙人は宇宙でも作ることができる
ちりやほこりを成分としたものを食べていて
動物を食べている地球人を見て
「野蛮だ」として仲違いをするような回が
あった記憶があるけど、すごくドキッとする内容じゃないか?

とか

ベジタリアンはそうした人間のエゴをよく見つめているのかもしれない。
野菜も同じ生きものだ、という論点はあるだろうけど。

とか

いつも牛丼を美味しく頂いているけど
いつかは、牛肉処理場の見学に行ったほうが良さそうだ。
どういう過程があって、自分の前に来ているのか知っておいたほうがいい。

とか

屠殺(とさつ)って、変換できないんだ。

とか……。



結果、結論なんてものは出ませんが
あえて結論のようなものを出すなら

ご飯を食べる前は「いただきます」と言う

ですかね。


こうした小さなことが結局は大事なのかもしれません。

「いただきます」には
料理を作ってくれたひとへの感謝の気持ちもさることながら
他の生き物の命を"頂いている"という
ニュアンスも込められていると思うんです。


キリスト教には食前の祈りがありますし
おそらくどのような民族・文化でも
そうした行為はあると思います。


……こうしたことを結論にしようとする自分は
焼かれた死体を見て
「命の尊厳」のようなものが踏みにじられているのを感じたのかもしれません。




ネコの死体を見たことも
いろいろと考えたことも
早晩忘れてしまうとは思いますが……

焦げた毛の中からのぞいていた
鮮やかすぎる舌の色は、しばらく忘れそうにありません。
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いまさらですが11月18日、クラシックコンサートに行ってきました。


関西フィルハーモニー。

第234回定期演奏会

それはそれは贅沢な時間。


こんな本格的なコンサートは初めて(2回目?)だったので
コンサートの感想は、ただただよかったの一言なのです。

が。

ひとつだけ気になることが。

それは……隣のおじさんが居眠りをしていたこと。。。


もちろん、自由です。

僕の視界の隅でコックリコックリと揺れていようが、自由です。

あまりに気持ちよく眠っているので、僕の気持ちがそちらにグッと引きつけられてしまいましたが、自由です。

おじさんの自由です。


思いました。

コンサート中に居眠りをするのは失礼な行為なのかな。

それとももったいないことなんだろうか。

せっかくお金を出してコンサートホールまで足を運んで
どこでもできる居眠りをするなんて……。

目の前で、プロが演奏してくれているのに……。


なんてことをあてどもなく考えていて
ふとこの文章を思い出しました。

以前父に 「能を観ていると寝てしまう」とおっしゃる方がいたんですが、そのとき父は 「寝たら寝たでいい。能楽堂という空間で、謡や雅子を聴きながら夢を見たのなら、その人の心の中でもうひとつの新しい舞台が生まれているということだ」 と言っていました。



出典は小松成美さんの『和を継ぐものたち』。
和を継ぐものたち (小学館文庫)和を継ぐものたち (小学館文庫)
(2010/10/06)
小松 成美

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小松成美さんが喜田流能楽師、塩津圭介さんにインタビューしたときのもの。
上記の文章は、塩津さんの発言からの引用です。

以前に読んだときは
「能楽師に向かって、能を見ていると寝てしまうなんて、大胆なことを言うなー」
くらいで軽くスルーしていましたが
あらためて読み返してみると、とても深いことを言われているんだと感じました。

上記の発言は、塩津圭介さんのお父上の
個人的な考えかもしれませんが……。

芸術って、そういうもんだと思います。

なんていうか、せせこましくなく大らかというか。

どんなものでも呑み込む力があるというか。


考えてみると、僕の隣に座ったおじさんは
オーケストラの生演奏を聴きながら眠るという
「王侯貴族かっ!」とツッコミたくなるような贅沢なひとときを過ごしていたわけです。

これはこれで、すごい体験。とてつもなく贅沢。

どんな夢を見てたんだろう…?


貧乏性な僕は
「五感をフルに使ってコンサートを楽しみたい!」と思ってしまうので
コンサート中に居眠りをする境地に達するにはまだまだなれそうにありません。


実のところ。

隣で居眠りをしているおじさんを見て
責めるような、非難めいた気持ちが全くなかったわけではありません。

でもそれは、演奏者なり関係者なら思う資格があるかもしれませんが
いち観客である僕がそんな気持ちになるのはおかしな話です。

べつにいびきをかいていたわけでもなし。

なんだろう、学校で教えられてきた
「授業中に居眠りするな」信仰みたいなものがまだ抜けきっていないんでしょうか。

鑑賞法に、正解なんてないのに。


……まあ、いろいろと考えてみましたが
実際のところおじさんは、ただ疲れていたから寝ただけのことかもしれません。

金曜日でしたし。。。



そんな喜びと楽しみと学びに満ちたコンサート。

次は
2011年12月11日 (日)
「第九」特別演奏会

に行きます!

「第九」の合唱を生で聴けるのが
楽しみで仕方ない…!
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mixiやらFacebookやらのSNSを多くのひとが使うようになりました。


そうなってくると、

「この情報はぜひとも多くの人に知ってもらいたい!」

というものが目立たなくなり、

「今日はこんなご飯を食べましたー」
「明日はあそこに行こうと思いますー」

というものばかりに。


料理を写真に撮ってUPしているものを見ると
「料理の一番美味しい時って出来たてなのに投稿している間に冷めちゃうよ?」
なんていう余計な心配をしてしまうのですが……。


でも冷静に考えてみると、自分のまわりでそうしたSNSを使っているひとって少数派です。
というか、地元の友だちには皆無。

ブログで知り合った方々や東京で知り合った方々は活用している割合高し。


もちろん、SNSの利用が人生にとって不可欠かといえば
そんなことはないわけで。。。

SNSをどう使っていくかなんて人それぞれですし。


でも最近強く感じるのは
SNSで自己開示を積極的に行っているひとには親しみがわきやすい、ということ。


SNSを利用していない友だちに対しては
一ヵ月会わないだけでも「ひさしぶり」という気持ちがしますが

SNSを活用している友だちとは
たとえ1年近く会っていなくても、身近に感じているんですよね。

長期間会っていなくても、すぐに深い会話ができるというか。


SNSでは、たとえお互いがSNS上で交流していなかったとしても
それぞれが自己開示をしていれば、どういう状況かはわかります。

それに比べて、情報発信をしていないひとと久しぶりに会うと
手探り感がすごい。なかなか話したいことを話せない。
様子見をしてしまうんですね。


こんなこと、今さらという感じがしますが

こまめに情報発信をしていくことは
人間関係のメンテナンスにもなるんだ


と強く思いました。


一度も会ったことがないのに

「ブログを読んでいる」
「Twitterを読んでいる」

というだけで、親しみを感じる。

これって、すごいことだと思います。


この特権を活用することが出来たのは
テレビに出演したり書籍を出版するような著名人。
……いまから数年ほど前は。

しかし、今では誰でもできることなんですよね。


無意識は詳細にイメージしたものと現実とを区別することができないといいますが
脳はネットで交流しているひととリアルで交流しているひとの区別ってついているんですかね?

いずれ学術的な研究結果が発表されるのでしょうが
個人的な感想としては、あまりつけていないような気がします。


なので、
「今日はお好み焼きを食べましたー」
という類の、あまりに個人的な情報だったとしても
それはやっぱり情報としての働きがあるんだと。

具体的に何か行動を促す、というものではなく
日常を伝えることで親しみを持ってもらう、という意味で。


……まあ、そこまで深く考えずに日常を垂れ流してしまっているひともいますが(自分)。


ネットとリアルをつなげると
ネットだけでもリアルだけでも得られない
もっと多くの素敵なものが得られるんだと思います。

実感中。
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プロフィール

 

ぼってぃー

Author:ぼってぃー
キノキョウ-昨日より今日、今日よりも明日少しでも前進、向上!

税理士試験、受験生です。
昨日よりきょう、少しでも成長していきたいと思っています。ここでは主に本の紹介をしています。

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