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つい先日

「科学的でないものは信じない」

と頑なに思い込んでいると、
視野が狭くなったり、器が小さくなったり、人生の幅が狭くなってしまう……

かもしれない、という趣旨の記事を書きました。

【本宗教】般若心経の科学その2 オカルトと科学の境目は?
URL: http://botty1.blog64.fc2.com/blog-entry-569.html



ずいぶんえらそうなことを書きましたが
あれは過去の自分に対する戒めも込めて。

「科学的でないから信じない」というのは
自分がよく使ってしまっていた言葉だったんです。

宗教について学んでいたにもかかわらず
"得体の知れない何か"に接することを拒んできました。

いや、宗教について学んできたからこそ
距離を取ろうとしていたのかもしれませんが……。


ようやくわかってきました。

つまるところ、バランスの問題だと思います。

身もふたもないですが……。


「科学的でないものは信じない」という姿勢も大事だし
「科学だけがすべてではない」という姿勢も大切。

どちらの姿勢もあわせ持つことこそ、必要になってくるのかと。



それで、いままでなら

「おもしろそう!」と思いつつも

「でも、うさんくさい……」と退けてきたことにも挑戦してみようかと。


そのひとつが「息止め」!


……はてしなくしょぼい気がするのは、おいといて。

もっと立派に聞こえる名詞、ないのかなぁ――。



きっかけはこちら。
天才脳のつくり方―七田式右脳開発術 (ぶんか社文庫)天才脳のつくり方―七田式右脳開発術 (ぶんか社文庫)
(2006/10)
七田 眞

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引用します。

『アインシュタイン・ファクター』(騎虎書房)という本を書いたアメリカの脳研究学者ウィン・ウェンガーは、学生のころ成績を上げるため、サマースクールに通いました。
午前中授業を受けて、午後は何時間もプールで泳いで過ごしました。潜水が好きで、水中にもぐり、息を止めるということをよくしていました。ついには四分半ほど、もぐっていられるようになりました。
すると、不思議なことが起きたのです。それまであまり良くなかった成績が急に良くなり、試験を受ければすべて満点。その夏の終わりにはクラスの最下位からトップに躍り出ました。
実はここにも、大切な脳の秘密が隠されています。
潜水で息を止めると、脳は酸素が減少していると錯覚し、頸動脈が人きく開いて、多くの血液を脳に運びます。それによって酸素を含んだ血液が通常以上に脳にいきわたるのです。
息を止めることで血液中の二酸化炭素が増加すると、脳はそれを酸素の在庫が減ってきていると解釈します。そこで血管が広がり、濃密な血管網になり、頭上に酸素がいきわたりやすくなるのです。



アインシュタイン・ファクターアインシュタイン・ファクター
(2009/05/25)
リチャード・ポー、ウィン・ウェンガー 他

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「なんでやねん
 ウィン・ウェンガーさんの成績が上がったのは、本人の努力やん
 潜水に根拠を求めるのはちょい無理があるやろ

とツッコミたくなる自分をなだめつつ、

もう一人の自分が言います。

「でも、呼吸を止めることによって脳がより多くの酸素を
 取り入れようとするっていうのは、その通りに思えないか?
 ……もちろん、脳が酸素に運ばれるからといって、
 それで頭が良くなる、と決め付けるわけではないよ。
 でも、全否定はどうかな?」



……そうだね。

「おもしろそう!」と感じたのは事実だし
ここは直感を信じてみてもいいんじゃないかな。

というか、これはオカルトというよりは、むしろ科学的なんじゃないのかな?


なんてことを考えつつ、「息止め訓練」スタート!


実は2週間ほど前から始めていました。

まあ、訓練といっても一日一回何秒止められるかを計るだけですが……。


最初40秒。今日70秒。

なんでしょうね、意外とサクサク上がっていきます。


ウィン・ウェンガーさんは4分半。

本当なのかわかりませんが、
一般人の平均は1分間、潜水士さんの平均は2分半。

たしかFF10(10-2かな?)で、ユウナが息止め訓練をしていたような……。
そのとき確か4分近く止めていたような……。


なんていう過去の記憶も掘り出しつつ
どこを目標に据えるかを考えていましたが……。


これは、決めない方がいいのかもしれませんね。


ブログのタイトル通り、

「きのうより今日、今日よりも明日」の精神で!!


まずは一般人を抜いた!
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衣替えをしました。

ブームに乗っかって、断捨離をしています。

まあ、処分関係で一番影響を受けたのはこの本なのですが……。
「捨てる!」技術 (宝島社新書)「捨てる!」技術 (宝島社新書)
(2000/04)
辰巳 渚

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ずいぶんと減らしたはずなのに、この冬全然着ていない服っていうのが
やっぱり出てくるんですよね-。

自分のタンスも管理できないって……。



衣替えをすると、忘れていたものが突然姿を現します。

買うときは、勇気を振り絞ってかったのに
意外と使い心地が悪くてほったらかしにしていたのもが。


それがこれ。
POLAR(ポラール) ベーシックモデル ハートレートモニター ブラック FS2cPOLAR(ポラール) ベーシックモデル ハートレートモニター ブラック FS2c
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POLAR(ポラール)

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走るときや自転車に乗るときつけていたのですが
面倒くさくなって使わなくなっていました。


せっかく出てきたんなら、使いたい。

と思っていたら、お昼から雨がやんだので
さっそく近くの公園で走ってみました。


――感想。

最近はずいぶんと自分に甘くしていたんだなぁ。


心拍数が、上がらない上がらない。

「もう無理!」と身体は悲鳴をあげている……

ように感じるのに、心拍数から考えると意外とまだまだいけることに気付いたり。

で、「心拍数的には、まだまだ全然だよ?」なんていうふうに思うと
実際さらに追い込めたり……。


自己評価が、いかにあやふやなものか!

実感しました。


客観的な指標って、すごく大事です。


TOEICやら資格試験やらマラソンなど
問答無用で客観的な評価を得ることができることについては
心配ないのですが……。


生活習慣やら読書やらネットとの付き合い方など。。。

客観的な指標を得にくいジャンルは……
気をつけないと、ものすごく効率の悪い、
下手をするとマイナスでしかないことをしている可能性もあるわけで。


定期的に見直す仕組みをつくったほうが良さそうです。


ランニングでも、自分のなかでは結構精一杯やっている気になっていました。

でも実際はまだまだ追い込めた。

これは客観的な指標(ハートレートモニター)があったからこそ。


客観的な指標。

もしそうしたものがなければ、無理矢理にでもつくったほうがいいですね。
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2011年5月10日。

ジロ・デ・イタリア第3ステージで、ワウテル・ウェイラント(ベルギー、レオパードトレック)選手が
レース中に事故でなくなりました。

Wouter Weylandt From Wikipedia, the free encyclopedia
URL: http://en.wikipedia.org/wiki/Wouter_Weylandt



応援していたチームということもあり、
ものすごく大きなショックを受けました。

自分でも何故こんなに動揺しているのかわからないほど……。


ウェイラントの早過ぎる死を悼む言葉:シクロワイアード
URL: http://www.cyclowired.jp/?q=node/58015



上記のシクロワイアードの記事で最初にある写真。

彼の右手にある白いリストバンド。

あれって、日本の東北地方太平洋沖地震の復興を支援するために
別府史之選手とトレック・ジャパンによって作られたものなんですよね……。


復興支援リストバンド
URL: http://www.trekbikes.co.jp/notalone/



なかなか立ち直れないなぁ……。



話は変わって。

彼の死を受けて
FacebookやTwitterで哀悼の意を表するひとたちのメッセージを読んでいると

"RIP"という言葉が、必ずと言っていいほど添えられています。

初めて知りました。


"RIP"とは、ラテン語で"Requiescat in Pace"。

英語にすると"Rest in peace"。

参考記事:Rest in peace From Wikipedia, the free encyclopedia
URL: http://en.wikipedia.org/wiki/Rest_in_peace


カトリックでよく使われる言葉のようです。



ワウテル・ウェイラント選手のお葬式が5月18日に行われました。

EMOTIONAL GOODBYE TO WOUTER WEYLANDT
URL: http://www.leopardtrek.lu/news/emotional-goodbye-wouter-weylandt


at the Sint-Pieterskerk in Wouter’s home town of Ghent

とあるので、彼がキリスト教徒であることがわかります。
(それ以上のことはわかりませんが……)

なのでRIPはふさわしい。


ここで疑問です。

ずいぶんと悩みました。


僕が彼に哀悼の意を表する場合、なんと書けばいいのだろう?


定型区になっている感がある日本語、

「ご冥福をお祈りいたします」

という言葉は、キリスト教徒に対してはふさわしくないと個人的に思っています。


ちなみに万能選手のように思われがちな
「ご冥福をお祈りいたします」という言葉。

浄土真宗のひとが亡くなったときに使ってしまうと
侮辱のニュアンスが含まれてしまうこともあるのでお気をつけて。

まあ、表立って怒るひとはいないと思いますが。



死者を悼む気持ちに宗教は関係ないと思っています。

ただそうは言っても、

「自分の宗教と相手の宗教に齟齬が生じた場合どうするべきなのか?」

という悩みはつきないわけで。


「自分の信仰を貫く!」
という姿勢もあると思います。

「相手の宗教に合わせたからといって、自分の信仰が揺らぐわけがない!」
という姿勢もあると思います。

「自分は無宗教だから、宗教行事には参加しない」
という姿勢もあると思います。

決まり切った答えなんて、ないですよね。


だからこそ、悩みはつきないわけで……。



難しいことです。

しっかりと学んで、経験を積んで
自分なりの答えを持てるようにならないと。
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前回から引き続き、『般若心経の科学』について。
般若心経の科学―「276文字」の中に、「21世紀の科学」を見た (ノン・ブック)般若心経の科学―「276文字」の中に、「21世紀の科学」を見た (ノン・ブック)
(1997/12)
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今回は目からウロコの指摘。

題して「オカルトと科学の境目は?」です。


「科学的ではないから信じない」。

よく聞く言葉です。誰しも一度は使ったことがあるはず。


でもはたしてその"科学"って、一体何のことでしょう?

ただ漠然と"科学"という言葉を使っていますが、
実際はどのようなものを想定しているのでしょうか?


それについての天外伺朗さんの指摘が秀逸。

引用します。

私は、科学者としてのトレーニングを受け、長年技術の世界で仕事をしてきたエンジニアです。したがって、近代科学の本質に関しては、少なくとも一般の人より詳しいと思います。その私の目から見ると、一般に「近代科学」と思われているのは、ほとんど三〇〇年前の「ニュートン力学」の枠組みと言ってよいように思われます。
「ニュートン力学」で説明できることだけを科学的といい、それ以外は「オカルト」だとして切って捨てる傾向があります。



一般的なひとが使うところの"科学"とは
三〇〇年前の「ニュートン力学」だと。

三〇〇年。

もちろんその間も、科学は進歩しています。

でもその知識は、一部のひとたちをのぞいて
知られていないと。


続けて。

もし、科学に無縁に見える人が「一般相対性理論」の内容を正しく語ったとしたら、ほとんどの人は「荒唐無稽だ」と思うことでしょう。「オカルトだ!」と叫ぶ人もいるかもしれません。
ところが「一般相対性理論」などはまだいいほうで、その後に出てきた、素粒子の物理学である「量子力学」などは、もう「オカルト」そのもののような理論です。




確かに!

本書のなかでも、「量子力学」が出てきます。

でもそれは、いままで持っていた科学の知識では理解できない。

いや、丁寧に説明されたとしても……。
頑張って何を言っているかはわかったとしても
それが実際に理解できるようにはならないのかも。

ただの決まり事としてしか理解できないというか……。

実際の世界とは無関係だと思うというか……。


本書にたびたび出てくる「ホログラフィー宇宙モデル」や「集合的無意識」。

オカルトさ、全開。仮説だからそんなものですか。


最先端の科学を考えるうえで

オカルトか科学か、という境目は

たいして意味をなさないのかもしれません。


そもそもオカルトという言葉の意味は、「神秘的なこと」。

神秘的なこと、と考えると
世の中にはオカルトしかないとも言えるわけです。


……思い切り拡大解釈をしました。



でも宗教を学んでいくにつれ
世間の常識ではどう考えても説明できないことも多く説かれていることに気付きます。

そうしたときにどうするか。

「オカルトだ!」と言って、拒絶するのか?


僕はわざわざそんな事をする必要はないと思います。

「あぁ、そんなこともあるんだなー」で済ませればいい。

「自分の知らない世界では、そういうこともあるんだなー」と。


信じるか信じないかは、その次の話ですよ。

で、信じられないと思ったのなら。

わざわざ科学(それも三〇〇年前の「ニュートン力学」)を持ち出さなくても
「うさんくさい」と切って捨てればいいと思うんです。


このひとたちは、こうしたことを信じている。

なるほど。

でも自分は、信じようとは思わない。

こうした姿勢が大事ではないかと。

いきなり拒絶して全否定は、なんていうかさみしいですよね。



蛇足かもしれませんが。

科学的だから信じる。
科学的ではないから信じない。

こうした考えは
一見合理的なように見えます。

しかし"信じる""信じない"という言葉を使っている時点で
一種の宗教のようなものなんですよね……。
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【本宗教】般若心経の科学―「276文字」の中に、「21世紀の科学」を見た 天外 伺朗 祥伝社
般若心経の科学―「276文字」の中に、「21世紀の科学」を見た (ノン・ブック)般若心経の科学―「276文字」の中に、「21世紀の科学」を見た (ノン・ブック)
(1997/12)
天外 伺朗

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一昔前なら絶対に受け付けられなかっただろうなーという一冊。

でもいま読むと、興味深いなーと思える一冊。


著者は天外伺朗さん。

参考リンク:天外伺朗 プロフィール(http://www.officejk.jp/category/1327012.html)


仏教従事者が仏教のことを書いたのではなく、
科学者が般若心経、つまり仏教をどうとらえたか、という本。


……僕が宗教本を読むとき、まず大事にしているのが
「これは著者の考え方だ」と本を読んでいる最中も絶えず意識すること。


他の宗教でもそうだと思いますが
仏教では、同じ言葉でも説明の仕方、とらえ方は本当にひとそれぞれ。

こんな風に書くと台無しになってしまうかもしれませんが
宗教を学ぶ上で"正解"って特に意味がないと思うんです。

あ、自分の信仰として宗教と接する場合はまた別だと思いますよ。

でもそれ以外のときは、"正解"なんてない。


釈迦やキリスト、ムハンマドといった開祖が存命のころには"正解"があったのかも知れませんが……。



という前置きをしておきます。

本書を読んでいて「なるほどなー!」と思う場面、たくさんありました。

しばらくブログで書いてみようかな、と思うほどに。


でもそれは、本書に書かれている内容について
全面的に賛成、というわけではありません。

"なるほど"や"興味深い"という言葉はちょっと卑怯で
「その通り!」と思うものも含めば、
「その解釈は無理がある、おかしい!」というものも含んでいるんですよね。

すべてをひっくるめてなるほど、と。


本書を読むとき大切なのは、
「これは天外伺朗さんの解釈だ」と意識すること。

まあ本書の場合、ところどころに
「私はこう解釈しています」というような注意書きが入るので
安心(?)です。



これから【本宗教】カテゴリの記事を増やしていこうと思います。
そこで書く内容は、本を通して書くことになりますが
それはあくまで僕個人の意見であり、とらえ方であり、解釈であって
著者の意見ではないことをご了承いただければと。

……本ならいざ知らず、ブログを読んでいて
「これが"正解"なんだ」なんて思うことはないと思いますが。

念のため。


宗教関係の場合、何かあったとき責任がとれるのって
本人しかいませんからねー。

誰々が言っていたから、なんていう責任転嫁は
全く意味がない世界。

だからこそ、宗教に触れるときはそれ相応の覚悟を持って。

もっと早くわかっておけばなぁ。





本の内容に入らず、前置きだけで終わってしまうという……。

次回から「なるほど」と思った言葉を取り上げていきます!
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偉人にはニックネームみたいなものがありますよね。

「越後の龍」とか「甲斐の虎」みたいな。

そうしたものは、日本の武将限定というわけではもちろんなく
世界の歴史上の人物にもあります。

イングランド王リチャード一世の「獅子心王」であったり
モスクワ・ロシアの初代ツァーリ、イヴァン4世の「雷帝」であったり……。


尊敬と畏怖の念が込められているのが
伝わってくるんですよ。


でも、西フランク王シャルル2世のものは……。

世界史を勉強していたときも、世界遺産関係の本を読んでいたときも
あまりにさらっと出てきて、思わず流してしまいそうになるのですが……。


「禿頭王」

ですよ!?


なんていうか、あまりにもストレート過ぎやしませんか!?

尊敬や畏怖の念が全然受け取れない!?


シャルル2世。

すごいこと成し遂げてると思うんだけどなぁ……。


もしかして…
昔は禿頭って、誇らしいことだったとか?

ほら、禿頭は長生きの象徴だからすばらしい、みたいな感じで。

「太っているほうが、もてはやされる。
なぜならそれは、金持ちの象徴だからさ!」
っていうのと似たような価値観があったとか。


……あ、だめだ。

たしかカエサルは自分の髪が薄くなっていることを気にして
月桂冠をかぶっていたって聞いたことがある……。
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批判はしないほうがいい。

そう思っています。


特に匿名だったり、口先だったりの場合は特に。

何ら意味がない。

結果的に自分がイライラしただけ、ということにもなりかねませんし。

幸せそうに批判しているひとなんて見たことがありません。


もちろん身体を張った批判は世の中に必要だと思います。

ですが、世間のたいていの批判は生産的ではありませんよね……。



批判をしないほうがいい理由。

上手く言語化できませんでした。

・幸せになれないから。

・いつも批判をしていたら、
自分も批判されてしまうことが実体験としてわかってしまうから。
行動を起こすことができなくなる。

・たいして意味がないから。

・相手を貶めて、自分を相対的に持ち上げようとする行為だから。


などといろいろと思いつくのですが、何だかしっくりこない。

どれも正しいと思っていますが、何かを忘れているような……。


と思っていたときに出会った言葉。

また、批判というものは、自分が正しいということを前提としています。ということは、人の批判をしていると、自分は変われないということを意味します。しかし、変わるべきは自分です。必要なのは批判ではなく、反省なのです。


引用元:
『早起き』は生きる力!?脳がよろこぶ!元気になる!『早起き』は生きる力!?脳がよろこぶ!元気になる!
(2007/06/01)
陰山 英男、瀬川 昌也 他

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そうなんです。

批判をするということは、
暗に「自分が正しい」という前提を含んでいて
「自分の意見を変えるつもりはない」という意思表示でもあるんです。


……それじゃ成長できない。進展できない。

そもそも批判をする人とは会話が成り立たないことになってしまう。

相手を批判しようとするだけの対話なんて不毛でしかない……。



誰しも批判をすることが、知的な態度と勘違いする時期があると思いますが(僕だけ?)
いつまでもその段階にいてはいけないのですね。

実生活でもブログ上でも。
批判はなるべくしないでいこうと思います。
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プロフィール

 

Author:ぼってぃー
キノキョウ-昨日より今日、今日よりも明日少しでも前進、向上!

税理士試験、受験生です。
昨日よりきょう、少しでも成長していきたいと思っています。ここでは主に本の紹介をしています。

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