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【本古典】歎異抄

【本古典】歎異抄  金子 大栄 岩波文庫
歎異抄 (岩波文庫)歎異抄 (岩波文庫)
(1981/01)
金子 大栄

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8月にはいってから毎日毎日少しずつ読んでいたのですが…
ようやく読み終わりました。

歎異抄は戦争に行くに際して、最も多くの人が携えていったという
話を聞いたことがあります。(特攻隊だったかな?)


驚くことが多々あったので引用させて頂きますね。


まず驚くのが、本書の初版の発行年。

1931年ですからね。


改訂版は1981年で、僕が読んでいるのは2009年に発行されたものです。


しっかりと読み継がれているなぁ。


いろいろと説明を飛ばして書きたいように書いていくので

おそらく説明不十分になると思いますが、ご容赦下さい。


では、引用を。本書の解題からです。

しかし忘れてはならないことは、唯円の説くところは破異ではなく歎異であることである。言いかえれば他の思想に対して自己の知識を立てようとするものでなく、ましてや他の規制に対して自己の規制を定めようとするものではない。その唯円の心になって見なければ歎異の内容も了解できないであろう。したがってその心なくして『歎異抄』を理解しようとするものは、また異義者にほかならないであろう。



衝撃でした。

確かに『破異抄』ではなく『歎異抄』ですよね。

異説が蔓延っているのを嘆いて書かれた、ということは

知っていましたが

その本質は全くわかっていませんでした。


では、自分の説を広めるために『歎異抄』を利用する人は

その時点で異義者、ということですね。



では、歎異抄へ。

といっても大切だと感じたところをあげていけばきりがないので

今回は今まで知らなくて驚いたことを。

もっと早く知りたかったです。


辺地の往生をとぐるひと、つゐには地獄におつべしといふこと、この条、いづれの証文にみえさふらふぞや。学生(がくしょう)たつるひとのなかにいひいださるることにてさふらふなるこそ、あさましくさふらへ。経論聖教をば、いかやうにみなされてさふらふやらん。信心かけたる行者は、本願をうたがふによりて、辺地に生じて、うたがひのつみをつぐのひてのち、報土のさとりをひらくとこそうけたまはりさふらへ。信心の行者すくなきゆへに、化土におほくすすめいれられさふらふを、つゐにむなしくなるべしとさふらふなるこそ、如来に虚妄をまうしつけまいらせられさふらふなれ。


他力の信心をえない疑心自力の行者は、恐らく、生死の流転を免れることはできないであろう。したがって疑心自力の行者は辺地に往生すと説かれてはあるが、結局は地獄におつるものである。この異義は、いかにも尤もらしい説ではあるが何の証拠となる聖教もないことである。経釈に説かれたる辺地は、自力の往生人が、ここで疑いの罪を悔いて、報土へと帰入する処である。
その報土に生るべき信心の行者がすくないから釈尊は諸善による化土を勧めたもうた。その大悲方便を無視して、辺地の往生は空しいことであるというのは仏説を虚妄とするものといわねばならない。それでは仏教を学ぶものとはいわれないではないか。



【十七(条)】の原文と解説をすべて載せました。

引用の範囲を超えてしまっているとは思いますが
どうしても載せておきたかったのです。


なぜ自分は

「すべての人は地獄に墜ちる」

なんていう教えを鵜のみにしていたのだろうか。


非常に腹立たしいです。

どうやら自分は仏教を学んではいなかったようです。

これからですね。



仏法のかたに施入物の多少にしたがひて、大小仏になるべしいふこと、この条、不可説なり。様々比興のことなり。
(中略)
かつはまた檀波羅蜜の行ともいひつべし。いかにたからものを仏前にもなげ、師匠にもほどこすとも、信心かけなばその詮なし。一紙半銭も仏法のかたにいれずとも、他力にこころをなげて、信心ふかくば、それこそ願の本意にてさふらはめ。すべて仏法にことをよせて、世間の欲心もあるゆへに、同朋をいひおどさるるにや。

寺院や道場に寄附する物の多い者は大きい仏となり、少いものは小さい仏となるという。それは小教団を維持したい欲心から思いつかれたものに違いはない。まことに言語道断であり、また全く意味のないことである。
(中略)
さらに思うに異義者の説は、布施の行を勧めるものともいえるであろう。けれどもそれは本願他力の宗旨にかかわりのないことである。いかに仏に寄附し僧に布施しても、信心がなければ詮のないことである。たとえ一枚の紙、一文の銭を寄附しなくても、他力に心をうち込み、信心深きことこそ本願にかなうものである。
すべて仏法にことよせて、世間の欲心を満たすために、同朋を言いおどすこと、まことに歎かしいことである。


こちらは【十八(条)】の原文と解説の引用です。


驚くと同時に情けなくなりました。

歎異抄が書かれたと言われているのは鎌倉時代です。


それから何百年経ったのでしょうか。


結局人間は同じことを繰り返しているのでしょうね。


なにも変わっていません。


本当に驚きました。

なぜここまではっきりと言い当てることが出来るのかと。


昔も存在したんだなぁ。

そして消えていった。


たいして目新しいことでも、

ましてや特別なことでもなかった。


騙すほうも騙すほうだが

騙されるほうも騙されるほうだ。


こんなこと、どの時代にもたくさんあったにちがいない。

調べればわかったはず。


その手間を横着したからだ。


ほんと、嘆かわしいなぁ。

ここまでズバリと言われているのに。







というわけで、以上です。

最後のほうは愚痴っぽくなってしまいましたが

いろいろあったおかげで

自分がいかに世間知らずか、身の程知らずかが

よくわかりました。


まだまだやりたいこと、知りたいことはたくさんあります。


おそらく大多数の方にはよくわからない内容だったのではないかと思いますが

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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昨日よりきょう、少しでも成長していきたいと思っています。ここでは主に本の紹介をしています。

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